ええ、そう。夜眠れないとき、決まってあの音が聞えてくるんです。遠いところから「カッカッ」とひずめをならす馬の足音。それは、少しずつ早くなり、最後には疾走の風音が枕元に届いてくる。
私が見るのは、草原を走る一頭の馬。背後には真っ青な空と、白い崖……それがどこなのかわからないけれど、かつて見たことのあるなつかしさ。
どうしておんなじ夢ばかり見るのだろう。夢のなかの私はまだ若く、いつも思っているのです。
「あの馬のそばにいきたい」と
でも、どうしても馬に近づくことができないのです。手を差しのばしても届かないし、あとを追いかけても追いつくことは不可能でした。
馬の目は黒く、その深々とした光は笑っているようにも見えました。ちらりと私を見て、あとは勢いよく草原のかなたへと消えていくのです。
ある夜のことでした。黒いものが私のかたわらに寝そべっていました。
「ああ、あの馬だ」とひなたくさいにおいですぐにわかりました。濡れた大きな目が、慈しむように私を覗き込んでいました。無言のまま、馬は私のほほに顔を寄せ、私も両手で馬の首を抱きました。
そのまま、私と馬は走りました。頭上の真っ暗な空を。星がいくつも流れました。馬はもう馬ではなく、遠いところからやってきたおおきなものの化身のようでした。
ええ、ずっとひとりでした。ひとりでしたが、ひとりではなかった。馬がいつも私のなかにいたからです。それは若いころになくなった父の化身のようでした。それは、私が好きだったひとの幻のようでもありました。一緒になれなかったあのひとの……。いいえ、あれは、私が産まなかった息子か娘の化身かもしれません。あるいは、あれは母? 私は母の年をもう越えてしまったけれど、かなうことなら、もう一度会いたいと思います。
馬は相変わらずやってきます。走り抜けるときの烈しい心臓の音も聞えます。それが乗り移って、私は、どうも自分は永遠に死なないものではあるまいかと思ったりもする。いつか、馬と一緒に、あの草原に立つ、自分の姿も見えるようです。
今夜も私の馬が、あんなに楽しそうに走っていく。ええ、信じているんです。草原のかなたの白い崖の上に、私たちの家があると。
プロフィール
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0.コラム連載開始のお知らせ(2010/7/22)
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